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対談
取り壊しが決まっていた日本最古の円形校舎がフィギュアミュージアムに生まれ変わり、全国から多くの人が足を運んでいます。そんな倉吉フィギュアミュージアムの公式キャラクター『メイ』『リン』は赤井孝美が制作を手がけました。今日は円形校舎の教室で倉吉フィギュアミュージアムの館長稲嶋正彦氏と赤井孝美の対談です。
円形劇場 – 倉吉フィギュアミュージアム –
【建物を残す】ということが第一だったんですね。【稲嶋】
赤井孝美どうも、ご無沙汰してます。
稲嶋正彦ご無沙汰してます。
赤井孝美僕、ここは多分、荒木さとし(アラーキー)さんの情景展(2019年3月30日)以来だと思うんですけど、あれすごかったですね。
稲嶋正彦すごかったですね。いま東京でやってるらしいですけど、大評判みたいですね。
赤井孝美へー、やっぱミニチュアってのはね、誰もが心を揺さぶられるというか、それはフィギュアに通じるものがあると思うんですけど…
えっと、フィギュアミュージアムはオープンしてどれくらいになりますっけ?
稲嶋正彦2018年の4月ですから、2年半ですね。
赤井孝美2年半ですかー…。もともとここは、明倫小学校の円形校舎ということですけど、これをフィギュアミュージアムにしようということになる経緯(いきさつ)みたいなものを、ざっくり聞きたいんですけど。
稲嶋正彦まず【建物を残す】ということが第一だったんですね。いま日本に残ってる一番古い円形校舎を、壊そうなんていう輩がいまして…。
赤井孝美輩が(笑)
稲嶋正彦それを是非阻止したいというのが一つありましたが、では残して何に使うかっていう計画を立てるときに、ここは「鍛冶町」といって鍛冶屋さんの町だったので、【ものづくり】とか【職人】とかそういうものを是非活かしたい、という風に考えまして…。
赤井孝美あー、はい。
稲嶋正彦そのときに、日本でいま一番最先端の【ものづくり】って何だろうかって考えたときに、フィギュアだって思いついたってのが始まりです。
フィギュアに詳しい人間はいなかった
頼みの綱は赤井さんとか海洋堂のセンム(宮脇修一さん)だったわけで…【稲嶋】
赤井孝美どなたか、この明倫小学校円形校舎を残そうっていう仲間の中に、フィギュアとか詳しい方はおられたんですか?
稲嶋正彦まったくいません(笑)
赤井孝美まったく(笑)
稲嶋正彦私含めてまったくいなかったので、頼みの綱は赤井さんとか海洋堂のセンム(宮脇修一さん)だったわけで…未だにセンムからは「稲嶋はなんにも勉強しとらん」って言われます(笑)
赤井孝美(笑) センム厳しいですからね~。
稲嶋正彦もう…(笑)
赤井孝美いやでも、よくそこまで… 僕の聞いた話だと、もうここの取り壊しの予算までついていたっていうような状態だったそうで…
稲嶋正彦ですね。
赤井孝美だからある意味、自治体で決まったことをひっくり返したわけですよね。そこまでは相当大変だったんじゃないですか?
稲嶋正彦そうですね、約2年間市議会はまっぷたつ、市役所まっぷたつ、地元まっぷたつで大ゲンカをしまして… それで我々が頼りにしたのが、赤井さんだったわけですよ。
とにかく理論的に、フィギュアというものがいかに優れているのか、歴史的に大事なものなのかっていうものを、ホントに足繁く米子に通わせていただいて、勉強させていただいて、それで生半可とはいえ理論武装して、自治体をねじ伏せていったという…経過でございます(笑)
赤井孝美あとやっぱ、この地元にグッドスマイルカンパニーさんの工場ができてるっていうのも追い風だったんじゃないですか?
稲嶋正彦ですね。役所の中では、役所も含めて地元の産業の一つとしてフィギュアを位置付けたいという意向がありましたので。ちょうど2014年にグッドスマイルカンパニーさんの工場ができるし、海洋堂さんに来てもらってここをフィギュアミュージアムにしようという、なんかいっぺんに同じような話が…。
赤井孝美そうですよね。あと倉吉で、「ひなビタ」が始まったのはいつ頃でした?
稲嶋正彦あれもたしか、同じくらいですね。
赤井孝美倉吉っていうのは、古い伝統のある山陰の中でも、特に鳥取県の中でも一番古いエリアじゃないですか。
稲嶋正彦はい。
赤井孝美白壁土蔵なんかも残ってるし、遺跡の類もいっぱいあるし、そこに、この【フィギュア】を新しい文化というか、名物というものに変わっていく上で、円形劇場がいわゆる一つのシンボル、モニュメントのようなものにもなっていて、それはすごい新しい試みであって、すごいことが始まったなと思いつつ、これが続けられるんだろうかっていうのは常に不安としてあったんじゃないですか?
稲嶋正彦はい、常に…未だに不安です(笑)
定期的に企画展に取り組む
次から次へと締め切りが来て、準備期間とか交渉や根回しとかあると思うんですけど…【赤井】
赤井孝美未だに(笑) でも、いろいろ話題になる企画展をやられたりとか、すごい頑張っておられるなっていうようなイメージですけど企画展とかはどういうペースでやられてるんですか?
稲嶋正彦今年はちょっとコロナで甘いスパンになってますけど、基本的には年に3回、春のGW・夏休み・秋の行楽シーズンでだいたい2~3ヶ月スパンで大型をやって、残りの隙間のところは小さいといいますか、地元の愛好会の人の展覧会といいますか、そういうのを入れています。
赤井孝美でもなかなか大変じゃないですか?次から次へと締め切りが来て、準備期間とか交渉や根回しとかあると思うんですけど、それどなたがやってるんですか?
稲嶋正彦ほぼほぼ私ですけど…。
赤井孝美おー…。
稲嶋正彦業界のこと全く知らないので、「できませんか?」「やってください」「お願いします」の繰り返しです。
赤井孝美でもまあ、そのほうがヘタな忖度とか先入観とか無くていいですよね。
稲嶋正彦はい。
赤井孝美稲嶋さん、本業は酒屋さんじゃないですか。そちらの仕事もしながらでしょう?
稲嶋正彦いえいえ、もうここをオープンしてから1日の休みもなくここで…。
赤井孝美ひたすらここで?じゃあ、そうとう詳しくはなったんじゃないですか?
稲嶋正彦まあ…詳しくというか、勉強はさせてもらいましたね。フィギュアの面白さっていうか、知れば知るほど面白い世界だなと思いました。
赤井孝美それではたとえば、新たに知ったり勉強したことの中で特に強く印象に残ってるものってあります?
稲嶋正彦一つには、【金型】というものの使い方がフィギュアの成否を決めることですね。要は、原型師さんがきちっとしたものを作るのが大前提なんですけど、その次に金型がきちっと出来ないとフィギュアは量産できないというところがあって…。
やっぱりそこの、髪の毛一本の差っていうか、そのあたりの精度は最初に言った【ものづくり】のスゴさを、見えないところなんですけど表してるんじゃないかな、と。
赤井孝美あー、そうですよね。金型っていうのを考えると、単にアニメの文化だとか原型師さんの模型に対する情熱以外の、もっと純粋に工業的なテクノロジー、あとそこにおそらく流し込むプラスチックなんかの材質とかも成分比率なんか違うでしょうし…そういうところで言うと本当に総合的なテクノロジーなんですね。
稲嶋正彦そうですね。まして今はほら、3Dが主流になってきて、海洋堂さんなんかは先祖返りして色の塗ってないガレージキットばかり出してたりして(笑)
円形劇場のお客さんなんかもほとんど、そんなガレージキットとか扱ったことない人が多いですから、なかなか仕入れるわけにもいかず困ってるんですけどね(笑)
赤井孝美「海洋堂さんが一番最初に、もう全部色も塗ってあるのを出したんですよね。それまでは、僕とか宮脇センムのような年代だと子供の頃にプラモデルブームがあって、みんな自分で色を塗ったり改造したりして。
もっと昔の、たとえば水木しげるさんなんかは、材木から連合艦隊作ったりなんかする世界ですけど。その後、完成していて色が塗られていて、しかもそれが300円とかチョコレートについてるとか、そういう風な、みんなが【作る】というのを破壊した海洋堂さんが(笑)
稲嶋正彦だから、フィギュアのパッケージ見ると「塗装済み完成品」って書いてあるでしょ。あれ最初何の意味か分からなかったんですよ。そもそも塗装して完成してないものが売ってるのかと。
赤井孝美あー。
稲嶋正彦でもそうか、ガレージキットは自分で塗装しなきゃいけないしって。あともう一つは、フィギュアの対象年齢は15歳以上で、ガチャ回しても「対象年齢15歳以上」って出てくるんで、「えっ、子供買えないじゃん」って。へー、そんな世界なんだって、ホントこのフィギュアミュージアム始めてから知りました。
赤井孝美そうですよねー。ただあの「15歳以上」ってのは15歳以下は買っちゃいけないっていう規制じゃなくて、「15歳以上を対象にしてるので、小さいお子さんが買っても何か合わないかもしれませんよ」っていうことなんですよね(笑) しかしそうですか、海洋堂さんもガレージキットのようなものを出して、また元々の【造形魂】に戻っていってるわけですね、へー…。
一緒にできること
「おー、プラモデルの本場の静岡まで轍の会は轟いてるんだな」と感心しました。【赤井】
稲嶋正彦はい。いまウチで是非やりたい、赤井さんにお願いしたいなと思ってるのが、色付けや塗装の教室というか、そういうのを始めたいと。私が全くできないものですから。そういう塗装の面白さというのを是非一人でも二人でも知っていただいて、ファン層が広がると、なんていうかプラモデルも含めてフィギュアの世界のファンが増えるんじゃないかなと…。
赤井孝美あー、なるほど。でも僕も、色は塗りますけど教えるほどじゃないので…。
稲嶋正彦そうなんですか?
赤井孝美米子で、プロのモデラーさんで実際にプラモデル教室をやってる人いますよ。
稲嶋正彦大上さんですか?
赤井孝美そうです、大上さん。ああいう方がやられたほうが… あと「轍の会」さんなんかも。
稲嶋正彦あー、はい。
赤井孝美轍の会さんは、ずいぶん前に大山を開拓するブルドーザー戦車のジオラマを作って展示をやろうってしたときに、静岡の模型メーカーのファインモールドさんにプラモデル提供してくださいってお願いしたら、「山陰だったら轍の会さんとかおられるじゃないですか」って言われて、「おー、プラモデルの本場の静岡まで轍の会は轟いてるんだな」と感心しました。
稲嶋正彦へー、そうですか。
赤井孝美ここの立ち上げのときには何度かお話とかさせてもらいましたけど、オープンしてからはあのキャラクターを作るのを最後にあまりお手伝いしてないので、他に何かやれることがあったら、やりたいですよね。
稲嶋正彦はい、是非是非お願いしたいですね。
あの(描いてもらった)キャラクターのメイとリンちゃんもおかげさまで、ガチャや缶バッジ・記念品などで入館者に配るんですけど、「謎のキャラクター」ということで、全然どこにも紹介してないものですから、ちゃんと紹介しないといけないですよね。
赤井孝美そうですね、そういうところがキャラクターとして難しいですよね…。
稲嶋正彦でもやっぱり、入口はいってすぐのところがありますので、あそこにたとえば「これを赤井さんがデザインした」とか「赤井さんとはこういう人物だ」とか「メイとリンちゃんのコンセプトはこうだ」とかって書いてあるだけで、この円形劇場という施設の入口としては非常に分かりやすくなると思うんですね。
倉吉フィギュアミュージアムの今後
これは赤井さんには怒られたところでもあるんですが…【稲嶋】
赤井孝美そうなんですよね、そういう設定が無いとわかりにくいですよねー。
これからフィギュアミュージアムって、どういう方向で進んでいくっていうイメージですか?
稲嶋正彦これは赤井さんには怒られたところでもあるんですが、あんまり美少女向けには偏らないで、どちらかといえばファミリー層に向けたいですね。
今の1階のシュライヒの展示会なんかもそうなんですけど、親子連れがほとんど半分以上を占めているような収入換算ですので、さっき言ったフィギュアを、【ものづくり】としての方向性をもっと歴史づけて…以前赤井さんが「土偶だとか鎌倉仏教だとかそういうものから引き継いで出てきてるのが今のフィギュアだっておっしゃてたようなものが、もうちょっと皆さんに分かりやすく、自然に分かっていただけるような展示の仕方に持っていけたらなと考えています。
そういうのはもちろん私なんかでできることではないので、赤井教授に是非やっていただかないと(笑)
赤井孝美(笑) あの…今回のシュライヒの動物フィギュアって、今までのとちょっと傾向が違うじゃないですか。今まではどちらかというともう少し模型マニアの方向ででしたが。どうですか、反応は?
稲嶋正彦ものすごい良いです。
赤井孝美おー、いいですか。それはそれは。
稲嶋正彦数字だけでいうと、未就学児(小学生未満)の方の比率がすごい高いんです。その子たちを連れて親御さんたちが来るっていうのが定着した感じがありますね。土日になるとホントにすごいですよ。
赤井孝美やっぱ動物っていうのはすごい普遍的なものですよねー なるほど、やっぱそういうのが良いんだなー。
稲嶋正彦そうですね。それで、シュライヒさんがすごいところはね、キリンやパンダのオス・メス・子供とかセットで家族を作るんですよ。
それを子供たちが自然に見たり触ったりするだけで、動物っていう家族や構成、たとえば鹿だったらオスには角が生えててメスには無いみたいな見た目の違いや、そういったものが自然に勉強できるように作ってあるっていうのは、あまり日本のフィギュアメーカーさんでは見ないかな、と。
赤井孝美なるほど。そういえば、さっきのメイちゃんリンちゃんの話でもありましたけど、1階の(シュライヒ)展示ルームに「この会社はこういう会社である。こういう思いで、この動物のフィギュアを作ってるんだ。そしてこの会社はドイツにあって、ドイツはこんな国です」っていうのが分かりやすく簡潔に説明してあって、やっぱああいうのが必要だなって思いました。
稲嶋正彦そうですね。
赤井孝美ああいうのを知らずに見たら、ただ単に動物いっぱいあってかわいいねー、細かいところまで作ってあるね、でしたけど、そういうところができてるのがすごい良い点だな、と。やっぱり展示ってのはこうありたいな、と。
稲嶋正彦ありがとうございます。いやね、2階の常設展示のほうが不親切極まりなく(笑)特に今のは外国から来られた人には日本語しか無いのでワケわかんなくて…これはイカンなーと思ってるところではあるんですけど…。
歴史×フィギュア
吉原の有名アイドルの等身大人形とか売ってたんですから…【赤井】
赤井孝美これはね、つい最近まで、たとえば京都の観光地とかでもそうだったんです。これじゃいけないということで外国人の顧問がついたりして徹底的にやってるので…まあそれは、これからですよね。
稲嶋正彦はい、いっぺんにはできないので、一個一個ですよね。
赤井孝美やっぱり外国の方が見ても本来楽しいものだと思いますしね。
あと美少女フィギュアにしても、さっき稲嶋さんのおっしゃった歴史的な紐づけで見ていくと、たとえば江戸時代に美少女アニメ無いですけど同じようなポジションのコンテンツがあって、やっぱそれでフィギュアに相当するものがあるんですよね。
稲嶋正彦ほー、フィギュアに相当するもの…?
赤井孝美あれですよ、吉原の有名アイドルの等身大人形とか売ってたんですから。
稲嶋正彦そうなんですか!?
赤井孝美高いんですけどね、金型が無くて一点モノだから。等身大フィギュアとかけっこうあったんですよ。
稲嶋正彦はー、そうなんですかー 浮世絵なんかねぇ、二次元のやつは知ってますけど。
赤井孝美割と日本人がやること変わらないし、おそらく外国にも、似たような文化は無いこともないでしょうけど、ただやっぱりキリスト教とかイスラム教っていうは基本的にあまり偶像的なアイドルっていうものを推奨しない文化です。
けど日本って多神教なので、ギリシャ神話なんかもそうだと思いますけど、いちいちみんなアイドルになっちゃうんですよね(笑)
稲嶋正彦あー、はい、そうですね。
倉吉にフィギュアミュージアムが建ってるっていうのは、案外必然だな、と…
赤井孝美そういう意味では、正しく日本の多神教の文化を受け継いでいて、かつての出雲王国圏の山陰の文化の古い都の一つである倉吉にフィギュアミュージアムが建ってるっていうのは、案外必然だな、と…。
稲嶋正彦おー、ありがとうございます(笑)
赤井孝美建物自体も、そこで勉強した当時の子供たちが大人になって「この建物残したい!」っていう気持ちと、子供の時に買ったオモチャの楽しさが忘れられなくてコレクションした「残したい」っていう気持ちも一つの同じ感覚なので、ここの円形校舎でフィギュアミュージアムというのは、いろんな偶然があったにせよ、よくそこに辿り着いたなって感心します。
稲嶋正彦いま、そうやって赤井さんに解説していただくとすごい立派なものに聞こえますけど、そんなに立派なものじゃなくてホントに思い付きで始めたようなものなんですけど…(笑)
赤井孝美いや、一瞬一瞬は思い付きで「どうにか残したい」とか「フィギュアだったらどうにかなるかも」だと思うんですけど、俯瞰してみると結局そういう流れになってるっていうのが、まあ人の営みというか… 人類だって別に「こう進化しよう」として進化してきたわけじゃないじゃないですか、その都度「ハラ減ったー」とか思いながらやってたのがこうなった…みたいな。
だからこれは、今後このフィギュアミュージアムがどう進化していくのかとか、地域とかこの地方でどういう役割を果たすのかっていうのは、すごい興味深いですね。
産業としてのフィギュア
このエリアがもともと鍛冶屋さん、【ものづくり】の町ということにも繋がるし、面白いですねぇ。…【赤井】
稲嶋正彦そうですね。一方ではね、フィギュアを産業として根付かせることができるのか…まあ日本で業界ナンバー1企業のグッスマさんの工場はあるので、これだけでも産業として成り立つんですけど、それにプラスして小さな造型師さんだとか工房だとか、そういう関連した産業が増えてくるっていう、まず産業として根付かせるというのが一つ。
もう一つは文化的なこととして、フィギュアに限らず【ものづくり】というものを学んでいく…そしてそれを将来的に生業とする人たちが倉吉発で出てくる、というような両面性がここからスタートできるのであれば、私はもう本望だと思いますね。
赤井孝美なるほど、そういう意味ではたしかに、このエリアがもともと鍛冶屋さん、【ものづくり】の町ということにも繋がるし、面白いですねぇ。
たしかに、グッスマさんの工場があるというのはすごく大きいと思うんですよ、「こういうもの(フィギュア)が世界的にちゃんと成功する産業になってるんだよ」と示せる。「いやいや、そんなのは東京とか大都市の話でしょ」というのに対し、「いやいや、この倉吉に工場があるんですよ。ここから世界中に出ていってるんだ」ってものが大人にも分かるわけで。
稲嶋正彦はい。
赤井孝美それを、単に一つの企業であるグッスマさんだけでなく、いろいろな、小さなものでも工房とか出来ていくっていう…そういうことですよね。面白いですよね。
稲嶋正彦まあ時間はかかりますし、成功する人も失敗する人もいろいろ出てくるとは思いますけど、まあそれは自然の淘汰ですから繰り返しながら、一歩二歩前に…。
赤井孝美まだ僕らは道半ばですけど、この米子でアニメを作ってネットに流してまして、そのネットで流す地元で作ったアニメというのがある程度商業ベースで成り立つものであれば、そこから人を育てていきたいんです。
たとえばアニメの世界って、山陰の人がそうとう東京で活躍してるんですよ。
稲嶋正彦へー。
赤井孝美調べたわけじゃなく統計があるわけじゃないですけど、人口比でいうとどう見ても鳥取や島根の人って人が少ないのに東京の現場で会う率めっちゃ高いんですよ。
稲嶋正彦(笑)
赤井孝美やっぱ、出雲神話から含めて空想的なことに親しんだ人が相対的に多いからだと…。
稲嶋正彦なるほどね。
赤井孝美そういう人たちが東京で活躍するのはまあ良いことだけど、言ってしまえばそういうこと(ものづくり)をしたかったら100%地元を出なきゃいけないわけで、一方で選択肢として地元に残って、地元でモノを作るということも欲しい。
逆に地方で東京とはまた違うアニメを作っていくっていう経験をしたい人が、地方あるいは海外からでも来られて、そこで例えば専門学校みたいなところで若者が勉強できるというようなことがあると、単に僕らのベースは米子ですけど米子だけでやってるのではなくて例えば松江であるとか出雲であるとか倉吉っていう、ある程度車で移動しやすいような距離で一つのネットワークが欲しいんですけどね。
稲嶋正彦うん、はいはい…。
赤井孝美その中で、倉吉にこのフィギュアミュージアムっていう拠点があるのは、すごい可能性を感じるし、あと色々な活用方法ってまだありそうじゃないですか、展示でスペース取ってるとはいえもっとこう勉強したりとか…もともと学校ですから、あるいは観光っていう側面ももちろんあるし…何か将来やりたいですよね、まだ具体的じゃないんですけど。まあそれまで、お互い自立して…なんとか向き合っていけたらな、と(笑)
稲嶋正彦去年の「北斗の拳」(企画展)のときに、かたやまひろし(大田市出身の原型師)さんに来ていただいて、ここで原型の作り方を目の前で見せてもらったときに、やっぱり十数人の人がもうかぶりつきで見てましたから、目の前でね、原型師の仕事見られるってこの辺りじゃあり得ませんので。
イベント
円谷(プロ)さんのイベントも何とかここでやりたいと思ってまして…【稲嶋】
赤井孝美そうなんですよ。おそらく東京や大阪でやっても皆かぶりつくと思うし、たいていのことは今やネットで映像で見られるんですけど、目の前でね、会話できる人がやって見せ、しかもこちらが何か聞いたら答えてくれる、そういう体験、『出会い』ができるっていうところが、逆に都会では無いんでしょうな。それは地方でやってる良さだと思うんですよ。
稲嶋正彦うん、はいはい…。
赤井孝美僕らも、米子映画事変っていうイベント、ぼちぼち10年になりますけどやってて、(そういうイベントを)地方でやってる良さっていうのは、例えば東京のイベントではなかなか一般の参加者がゲストの人と会話するってできないんですけど、やっぱ地方だったら人があまりいないので(そういうことも)できるっていう…(笑)
稲嶋正彦うんうん…。
赤井孝美そういったところから生まれてくる文化もあると思うんですよね。
稲嶋正彦近いところで言ったら、ウチ(フィギュアミュージアム)では円谷(プロ)さんのイベントも何とかここでやりたいと思ってまして…。
赤井孝美やりたいですよね。
稲嶋正彦それこそ映画事変にはウルトラシリーズの監督さんも来ていただいてますし、そのへんのタッグも組めれば…。
赤井孝美そうですね。
稲嶋正彦たぶん、円形劇場だけでやって「それで終わりですよ」では勿体無いんですよ。県も巻き込んで、砂丘や大山やいろんなところ使って…なんていうかな、1ヶ月間でも2ヶ月間でも円谷の世界が鳥取県で繰り広げられてるぞみたいなイメージが湧かせられれば嬉しんですけどね。
赤井孝美それに、今やってるウルトラマンの監督の田口清隆監督は、自主制作でもともと自分で着ぐるみ作ってミニチュアセットも作ってやっていた人なので、その精神はすごくこのフィギュアミュージアムに合うと思うし、ある種のワークショップというようなこともできると思うんですよね。可能性はすごく無限だし、円谷さんはなんていったって年代が広いじゃないですか。
我々の世代から今の小っちゃい子まで周知されていて。僕さっき、あちらの部屋でウルトラマンのフィギュアいっぱいあるの見て「う~ん、この色がいっぱいある人たちは誰だか分からないけど、赤と銀の人たちは知ってる…」みたいな(笑) なんかね、久しぶりに親戚の集まりがあったときに、「あの人誰だっけ…?でも多分あのへんの人たちですわー」みたいな感じですけど、逆に今の若い子たちや子供たちは最近キャラクターはもちろん昔のも知ってるわけで。
いいですよね、世代を越えて… 動物フィギュアとはまた違いますけど。
稲嶋正彦是非、ウチに合うものをやるときに、赤井さんのところと何らかの協力ができるような、繋がりは持たせていただきたいなとは思ってて、それは同時にではなくても、たとえば夏はウチの展示だけど秋は映画事変がそれに絡む形の企画をするとか、連動したものができるととってもウチとしては有難いですし…。
夢を語る
山陰がヨソから来た人にとって特別な場所になって…【赤井】
赤井孝美そうですね。
稲嶋正彦これは地元の話ですけど、円形劇場ひとつが賑わったってダメで、ここを核にして周りがだんだん賑わっていく力を取り戻していかないと、ウチ(円形劇場)を起こした意味が無いんだって昔から言ってるんで…。
赤井孝美うんうん…。
稲嶋正彦それと同じことはもう…大きく言えば鳥取県全域まで行くようなアニメとかコンテンツのものでいければ嬉しいなと思いますね…。
赤井孝美なるほどねー…。
稲嶋正彦壮大な夢ですけどね(笑)
赤井孝美いやでも実際問題として、地元の人は大事だけど数が少ない…だからヨソから来ていただかないといけないんですよね。
今話していて面白いなと思ったのは、僕らそういうことを考えたとき、米子の人は鳥取県全域とは考えないんですよ、ちょっと鳥取(市)は遠すぎるんです。たぶん鳥取(市)の人も米子は行くだけで手間だな、と考える。
そうすると僕らどうしても、倉吉から西…さっき出雲くらいまでって言いましたけど、かたやまさんがいるんで大田くらいまで…(笑)…ぐらいのイメージになるんですけど、フィギュアミュージアムの倉吉までくると当然鳥取県の東部も視野に入ってくるので、そういう意味でいうと山陰全領域っていう活動が実際できてくる、それは大事だと思うんですよ。
僕はやっぱ、山陰っていうのは物語の国なので、フィギュアだろうがアニメだろうが特撮だろうが或いは映画演劇みたいなもので何か連携していくべきかなと思います。
稲嶋正彦はい。
赤井孝美それで、まだ将来的な夢ですけど、教育機関を作って全国や外国から若い人が勉強に来られるようにすると、当然このフィギュアミュージアムとか水木ロードとか青山剛昌記念ふるさと館とかも廻られて、それが青春の一つの思い出にってことになるといいなと思いますね。
僕、大阪芸大ってところで勉強して以来、大阪にいたのはそのわずか四年間ですけど、やっぱり大阪…関西っていうのが一つのいわゆる【第二の故郷】的になり、今でもそこに古い仲間や友達がいるという自分の経験からすると、やっぱり若い頃に何か夢を持って勉強に行った場所っていうのは特別な場所になると思います。
稲嶋正彦うんうん…。
赤井孝美この山陰がヨソから来た人にとって特別な場所になって…っていうことがあると、また新しい賑わいが出てくるんじゃいないかって… 。
その中で、僕は米子でずっとやってて、稲嶋さんは倉吉でやっていく。稲嶋さんは別にオタクでもモデラ―でも何でもない人が、これ(フィギュアミュージアム)を始められたってのは、僕はちょっと「こんなことがあるんだ、すげぇな」と、頼もしくもあり嬉しくもありましたね。
稲嶋正彦はっはっは。
当時の教室の様子が感じられる場所での対談で、赤井先生が掲示物などを興味深く見ていました。今後は倉吉フィギュアミュージアムとの活動が増えていくと良いですね。
稲嶋正彦
イナシママサヒコ
1956年(昭和31年)倉吉市鍛冶町1丁目生まれ
明倫小学校卒業(円形校舎で4~6年生学ぶ)
神戸大学卒業
1981年毎日新聞大阪本社入社
1989年(平成元年)毎日新聞退社―倉吉に帰郷
1989年~いなしま酒店
2016年(平成28年)株式会社円形劇場設立―代表取締役就任
2018年(平成30年)円形劇場くらよしフィギュアミュージアム開館