対談動画
対談
クリエイター赤井孝美が様々な分野で活躍する人と対談するコーナー。第1弾はオペラ歌手、声楽家として世界で活躍する山本耕平さんです。
同じ米子市出身の二人
こんな話で温めつつ(笑)。【赤井】
赤井孝美そういえば、最近の米子は油断してきて、スタバとか行くとほとんどの人がマスクをしてるけど、話が弾んでる人ほどマスクを外してる(笑)。
山本耕平でも僕、今回コロナ後初めてこっちに帰ってきたんですが、やっぱりみんなに怖がられてる感じでよく帰ってきたな、と。
赤井孝美僕は先週末、関西でイベントがあり行ってきましたが、やっぱり京都とか大阪のほうも感染者たくさん出てるので警戒してる感じしますね。そしたら一緒に行ってたスタッフが熱出ちゃって、『大変じゃん!』と病院行ったら『インフルエンザです』とタミフル出されて『なーんだ』と(笑)。
…とまあ、こんな話で温めつつ(笑)。
作る仕事と演じる仕事
いきなりかなり本格的なというか本質的なというか【赤井】
山本耕平今回、事前に質問とか考えていたんですけど、僕が普段やってる仕事が『人が作ったものを、こうだったんじゃないか?』と再現するようなことをやってて、作品も結局何百年とか前のものなので作詞家とか作曲家に話を聞ける機会なんて無いのが日常なわけです。
なので今日、是非作る側の視点を教えていただきたいなと思って来ました。最初から思ってたことです。
赤井孝美なるほど、いきなりかなり本格的なというか本質的なというか…。
山本耕平すみません、マジメで。(笑)
赤井孝美いえいえ、マジメ大好きです(笑)。僕は、自分本位なところからスタートしていて、自分が何かした瞬間に空想したり想像したりしたものに対し自分の中でまず感動があって、それをどう伝わる形にするのかみたいな…。
山本耕平では、ストーリーとかが先にあるわけではないということですか?それは、キャラクターだけではなくて、何事にもということですか?
赤井孝美そうですね。逆に、僕キャラクターデザイナーみたいな呼ばれ方しますけど、先にちゃんと物語があって、そのためのキャラクターを作るっていうのは実はそんなに得意じゃないんですよ。
そういうのちょっと遠慮しちゃうんですよね。たとえば小説の原作があってそれのキャラクター作るというようなときには、もちろん小説を読んで頭に浮かんだことを描いていくんですが、どこか『これは小説家のモノだ』というような思いがあって。こんなこと考えるのはキャラクターデザイナーに向かないと思うんですけど、どこかで境界線作っちゃうんですよ。
山本耕平そういうものですか。
自分がいわゆる神様にならないといけない【赤井】
赤井孝美本当は『全部を自分で作ってやろう』というような気概が必要で、やるんだったら自分がいわゆる神様にならないといけないんですけど、先に作家さんがいるとどうしてもその人に遠慮しちゃう。
山本耕平僕ら素人や、後から見た人はだいたい絵のほうがパワー強いので、それで物語の印象とか決まっちゃうんですが…。では、あまりそういうこと考えずに、気にせずドーンっと行く人も、お仲間にはいらっしゃいますか?
赤井孝美最初にどこから入ったかにもよると思うのですが、僕の大阪芸大で知り合った仲間の場合は、学生の頃はお互い『あれはダメだ、これはダメだ』と指摘しあったりしますけど、プロになると意外にそれが無い。よほどダメなものを作らない限り、お任せされちゃうんです。学生の頃は『これが最後かもしれない』と、みんな自分の好きなことを入れたいとなるから、そこである種罵倒なんかも生まれたりするんですよ
山本耕平仲間内でそういうことがあって良いものに近づくことがあるというのは、僕らとは違いますね。
赤井孝美そうなんですよ。でも、中国とか海外だとそういうことが全く無くて。前に中国の会社とゲームの仕事をしたときに、向こうからの発注書や仕様書なんかはすごくしっかりしてるんだけど、自分たちが何をしたいのかとか、どういうイメージが欲しいのかっていうのが無いし、現場のスタッフと話すような仕組みも無いし、文化の違いだなって思いますね。
山本耕平赤井さんと繋がったから、辿り着いたから、『やったーこれで出来たー』って事ではないでしょうか?
赤井孝美う~ん…どうなんでしょうね。日本ってやっぱり職人文化なんで、どこか職人同士で計算したりとかあるんですけど、海外だと(中国に限らずアメリカとかヨーロッパで違うと思うんですけど)あまりクリエイター同士がケンカしたりして作っていくっていうのは見ないんですね。
山本耕平米子では罵倒し合わないんですかね?たとえば米子ガイナックスでは?
赤井孝美米子ガイナックスはそんなに罵倒し合うほど人数いないってのもあるんですが…(笑)。どうしても、キャリア積んでくるとそんなにケンカにならないってのはありますよね。そこはちょっと衰えを感じるので、若くて生意気で世間知らずなクリエイターが入ってきてはほしいなと、いま募集してたりするんですが
山本耕平おー。
赤井孝美やっぱ怖いモノ知らずな生意気な若者が欲しいなって思いつつ、なかなかね(笑)。でもどこかにはいると思いますけどね、うん。
一人でやるようになったので不安もありますね【赤井】
山本耕平先ほど、原作とか無くてイチから作り上げていくときには感動したものなどを入れ込んでいくとおっしゃってましたけど、それはストーリーにもキャラクターにも?
赤井孝美そうですね。
山本耕平では、キャラクターに入れ込むときに、その容姿とかは、ストーリーとキャラクターとどっちかが先になったりするんですか?
赤井孝美そうですね。いろんなものがきっかけになるんですけど、まず最初に主人公かまたはキーになるキャラクターが生まれまして、そうすると周りのキャラクターはそこから相対的な関係で作っていくことになるんです。たとえば主人公がツリ目だったら、それに一番接するキャラはタレ目になるといった具合に、キャラクターの個性を分けて作っていくんです。そして世界観とキャラクターを同時進行的に作っていくことになるんですけど、若いころに比べて最近はほとんど一人でやるようになったので不安もありますね。
山本耕平…ずっと不安ってあるんですね(笑)。不安って無くならないんですね。
安心と不安
不安、なくならないですね(笑)。【山本】
赤井孝美 (笑)。 山本さんは、オペラの世界でやってこられて、安心したりとか不安だったりはあるんですか?
山本耕平不安、なくならないですね(笑)。
赤井孝美(笑)。
山本耕平もちろん前よりは確実にできることも増えていて、外国語も勉強しただけ分かるようになっていっていくんですけど、出来てないことのほうがもっと早いスピードで増えてる気がして…見聞が広がると、できることよりもできないことの広さが分かるようになってしまって。
赤井孝美若くてイケイケの頃は見えてる課題も少ないから、(見えてる)コレ突破すればいいやって思っちゃうけど、どんどん視野が広がっていくと、どこから手をつけて良いのやらと(笑)。
山本耕平うんうん、そうなんですよ。
言語
日常的な会話もマスターする必要があるんですか?【赤井】
赤井孝美すみません僕もそこはほとんど素人なのですが、オペラでは何ヶ国語を扱うのですか?
山本耕平オペラが生まれたイタリア語がメインで、あとフランス語、ドイツ語…僕がやったのはこの3つがメインです。もちろん英語もあり、ロシア語もあり、地方のオペラもあり、それぞれ得意としている人たちがいる感じです。
赤井孝美それは歌うだけじゃなくて、日常的な会話もマスターする必要があるんですか?
山本耕平それが理想ではありますね。僕は(イタリアに長く住んでたので)イタリア語が少し分かるからフランス人やポルトガル人、スペイン人とは会話が成り立つんです(似てるので)。
ドイツ語は、聴いた中から知ってる単語を拾って、それを英語で相手に『こういうこと言ってる?』って確認したりします。ドイツ語がメインの稽古場だと、通訳や演出家の助手の人をつかまえたり…。でも、とっさの演出家とのやり取りに自分の使い慣れた言葉が無いっていうのは、やっぱりすごく置いていかれてるんですよね。演目に合わせた人が集まると、大概みんな言語を喋れますから、恐ろしいですね…。
赤井孝美ほぉー、なるほど。
山本耕平それでも、もちろん声が心地よく届かないと話にならないし、歌が上手くてもディクションがあまり良くない人もたまにいるので、そこはせめぎ合いというかなんですが、日々の中で語学を勉強してる時間はやっぱり長いですね。
海外
日本は手書きのほうが隆盛を極めちゃったんで、才能のある人がそっち行っちゃうんですよ。【赤井】
赤井孝美なるほど、やはり語学が…。
アニメの世界って最近は中国とか外国の若者が日本にアニメ習いに留学してきてて、西日本のアニメ専門学校とかほとんど生徒が外国人なんですよ。
山本耕平そういえば、エンドロールとかでも中国や韓国の人の名前を見ますね。
赤井孝美韓国に関しては 70 年代から日本は発注出してて、相当数依存してますね。韓国は日本とアメリカの下請けでアニメーションが発達しちゃったんで、手書きのアニメではオリジナルが育たなかったんですよ。技術レベルは高いんですけど、下請けのほうがリスクが少ないので。また、まだ韓国が発展途上国だった頃に日本もアメリカも韓国に安く出していたわけではなく、それぞれ国内が人手不足だったので国内と同じ金額で出してたんです。そうすると、日本やアメリカに比べて韓国の経済が弱かった頃に、韓国はそうとう儲かったんですよ。僕らが若いころ、韓国では医者かアニメーターかってくらい(笑)。
山本耕平そうなんですね。
赤井孝美今はそんなでもないんですけどね。逆に手書きのオリジナルアニメが育たなかった分だけ、韓国はコンピューターグラフィックや3Dなんかが日本よりも進んでるんですね。日本は手書きのほうが隆盛を極めちゃったんで、才能のある人がそっち行っちゃうんですよ。なので、日本の3Dのアニメーションはこれからといった感じですね。
山本耕平しかし…手書きでコマを送ってたなんて、ホントに正気の沙汰とは思えない…とんでもない作業だと感じています。
赤井孝美(笑)。 たしかに、僕らも子供の頃に本などで『まんが映画はちょっとずつズラした絵で動いてるように見える』って読んで、その原理は分かったけどまさかそれを全部手で書いてるなんて思ってませんでしたね。子供なりに、一番最初の絵と最後の絵をウイーンって繋げるような機械があるのかと(笑)。
イタリアでのミラノ・スカラ座みたいなところが土俵であるなら…【山本】
山本耕平(笑)。
赤井孝美やっと最近そういう技術ができてきましたけど。やっぱ手書きでアニメーションをこれだけ作ってる国は日本だけなので、海外で手書きアニメが好きな人は日本に来たがる。最近は中国でも国策でアニメを作ったりしてるので仕事はあるはずで条件なども良いかもしれないんですけど、やっぱり日本でやりたい、と。ただ、同じような技術レベルだと日本人のほうが採用されちゃうんです。
それはいわゆる人種とか国の問題ではなくて、やっぱりさっきの言語の話になるんです。アニメは基本的に無言で作業するものですけど、打ち合わせなどニュアンスを伝えるときに、やっぱり上手くコミュニケーションが取れないといけない。
海外から来たアニメーターさんは言葉を一生懸命勉強しながらやっていくので、やっぱり大変だと思いますよね。
山本耕平今、海外から日本に学ぶため留学に来られたり、憧れられる分野って、アニメとか妖怪とかだと思うんです。 イタリアでいうところのオペラみたいな伝統文化である歌舞伎なんかは、閉鎖的なので外から入れない。ただ、相撲は国際的に開いた。日本の土俵が、イタリアでのミラノ・スカラ座みたいなところだとするなら、その上には現在外国人が山ほどいるわけですよね。オペラも今そんな感じで…。
日本の文化
なんで巨人たちと声比べをしてるんだと思う【山本】
赤井孝美あ、そうなんですか。
山本耕平ホントにいろんな人種の人がイタリアの舞台で歌っているという状態で、アジア人もいます。なので向こうに行くと、僕はせっかく日本人に生まれたのに、見た目のハンデを背負いながら、たいして大きな身体でもないのに、なんで巨人たちと声比べをしてるんだと思うこともあるんですよ。
せっかく言葉も分かるのに…なんていうんでしょうね…日本オペラを作ろうっていうのはもちろん良いことだと思うんです。たとえば、ロシアでラフマニノフがオペラを作ってくれたからロシアに留学する人が出始めたように、素晴らしい作品が生まれれば留学する人が出てくるかもしれないから、日本だってやればできるのかもしれない。しかし、それはまだ起こってなくて…でも今、現代の日本でアニメが求心力を持ってるのを見ると、『なんだかな…』と憧れというか。妬みまではいきませんけど、こう、ホントに良いなっていう風に見えます。
赤井孝美そうですか…。アニメーションというのは産業全体でいえば今も昔もアメリカが本場であって、それこそウォルト・ディズニーなんかが成功して産業として大きくなって、ビジネスも上手なのでディズニーランドとかでキャラクタービジネスとしてもやっていき…ということで今のディズニーとかピクサーのアニメ作品(アナ雪とか)の世界的なヒットに比べれば、日本でのトップである宮崎駿さんや庵野秀明君の作品はすごくマイナーではあるんです。でも僕はそれで良いなと思うのは、日本は日本の庶民文化そのものでやっていて、そしてそれがある程度世界に通用しているということがあって。
山本耕平そうなんですね。
蹴鞠が発達して日本のサッカーになるわけじゃないじゃないですか(笑)。【赤井】
赤井孝美僕ね、日本が世界に対してアドバンテージがあるのは、世界で一番最初に庶民文化が文化の主役になってところだと思うんですね。もう室町時代の頃から庶民文化が中心で、たとえば当時権力のある将軍とか天皇とかが庶民の文化を観るわけですよ。宮廷で行われるものはだんだん儀式になっていって、誰も憧れないわけです。
蹴鞠(けまり)なんか儀式だからやってるのであって、蹴鞠が発達して日本のサッカーになるわけじゃないじゃないですか(笑)。 ただ、海外のヨーロッパでも中国でも、そうとう最近まで一番良い文化は上流階級や王侯貴族のもので、まあイタリアなんかは商人の文化が進んでますけどやっぱりお金持ちのもので、その中で豪華な『歌劇』というものが、日本では想像もできないような立派なステージで、荘厳で非常に高級感があってそしてバックボーンにはキリスト教的な世界観があって…そういう風なものができていくんです。けど、日本ってその真逆なんですね。これは日本が特殊っていうんじゃなくて、主要な国の中で唯一『多神教』が残っているというのが実際大きいと思うんです。世界も昔は多神教だったけど一神教になることで巨大な国力が作られていったんですが、日本はなんだかんだで最終的に多神教に戻った。明治時代にいっぺん、キリスト教国があまりに強いので真似しようとして、日本にはキリストがいないから代わりに天皇を絶対神にしてみたんです。ところが、効き目はあったんですが上手くいかなくて…前の戦争で大失敗しちゃったから『やっぱこれはいかんな』と、多神教に戻っていった。
山本耕平はい。
山陰の人
東京で鳥取の人に会うなんて隕石にぶつかるような確率【山本】
赤井孝美僕面白いなと思うのは、山陰のアーティストって絶対数少ないですけど、わりあい世界的な人が多いと思うんです。たとえばアニメの世界なんかでも、東京へ行くと意外に鳥取の人って多いんです。率高いんです
山本耕平そうなんですよね、僕も東京で鳥取の人に会うなんて隕石にぶつかるような確率だと思ってたのに、人口に対して意外に多いんですよね。
赤井孝美僕やっぱり日本のいろんなところに神様がいるっていう多神教の中心は出雲なので、そういう意味ではこの出雲文化圏ってのはかなり有利だと思うんです。
山本耕平はー、考えたことなかったです(笑)。
赤井孝美子供の頃から、我々の年代であっても無意識のうちに空想的なことに接してると思うんですね。
山本耕平なるほど。
赤井孝美うん、地方によっていろいろ違いもあって、東北や北陸のほうに行くとまた雰囲気が違うんですよ。
なんだろうな…変なこと考えたり自由に発想したりすることに関しては、この山陰特に出雲の文化圏はすごいありますね。
山本耕平土地の影響ってのは知らずにけっこう受けてるんですねー…。そして、まさにアニミズム的なことで…僕、これまでアニメとアニミズムを結び付けて考えたことがなかったんですけど、今まさに『おっ、アニメじゃん』と感じてます。
赤井孝美そうなんですね、まさにそうなんです。日本でいえば八百万の神といいますが、神じゃなかったら妖怪なんですよね。時間が経つと壺とか傘とか提灯とかがみんな命を得て動き出すという…。
山本耕平本当だ…。
日本に残っているアニミズム、八百万の神、付喪神みたいな【赤井】
赤井孝美ディズニーが『ファンタジア』というアニメで、ミッキーマウスが魔法使って箒が自分で動いたり…あれがまさに日本のアニミズムの世界だし、おそらくそれはアメリカだとネイティブアメリカンなんかも持ってる文化だと思うんですよね。なので、彼らネイティブアメリカンが昔作った土の人形ってめっちゃアニメグッズのような形してるんですよ。
山本耕平そういう共通点があるんですね。そして日本では失われてしまったものもあるんですね。
赤井孝美そうなんですよ。なので、日本のアニメーションってそんなに向こうでめちゃくちゃメジャーなわけじゃないんですけど、好きで好きでしょうがない人がいるというのは、やっぱりその日本に残っているアニミズム、八百万の神、付喪神みたいな感覚が求められてるのかな、と。
山本耕平ふ~む。
赤井孝美聞きたいことがあって、オペラとの出会いって、どうだったんですか?(米子)東高ですよね?
山本耕平えぇ(若干苦笑)実はたまたまでございまして、吹奏楽部に入って音楽を好きになってそのころ僕ゲーム音楽に夢中になってまして、耳コピしたりして。
赤井孝美へぇ。何年頃ですか?
山本耕平僕は、それこそスーパーファミコンからですね。ファミコンの最後らへんがようやく小学低学年あたりでして、ようやくプレイさせてもらえるようになって、ロールプレイングゲームのいろんなシーンに合わせた音楽にどっぷりハマりまして、それを習ってたピアノで一生懸命弾いたりして…。そしてそのまま吹奏楽部に入って、それから音楽の先生になりたくなりまして…。
赤井孝美ほー、なるほど。
山本耕平それで、音楽の先生は、歌が必修なんですよ、入試に必修で。歌をやらなきゃならなくなって、高校生のときに『人前で歌う練習しておいで』と全国大会にたまたま通って…。
赤井孝美たまたま?たまたまじゃないでしょ(笑)。
山本耕平いえ(笑)。でも僕ちゃんと予選でやっつけられましたよ。後に芸大で同級生や先輩後輩になる人達が全国大会に集まってて、負けましたね。
自分には縁がないなと、そのまま楽器で進学をしようと思ってて…けどそのあと、歌のレッスンも続いてたんですけど、先生が『お前は今、歌で芸大受けたら間違いなく合格るから、行きたいならやってみたらどうだ?』と言われたのがきっかけで…。
僕の中ではまだ教員志望だったので『え?芸術大学って行っていいの?』ってすごいドキドキしまして、それで挑戦して首尾よく合格りまして、それからどんどん道を誤っていきまして、この浮草のような仕事をずっとしてるんですけど(笑)。
それこそ、先ほど(録音前の雑談で)クリエイター経営者の話とか出てましたけど、そんなんになれてたらまた違ったんでしょうけど、今は自分が一本釣りに合って現場現場に行く…きっと声優さんなんかにも近いと思うんですけど、最初の計画とは大きく狂いました。本当は僕すぐ米子に帰ってきたかったんですよ。
進路
知らない人に言われました。父親の友達らしいんだけど(笑)。【赤井】
赤井孝美音楽の先生になりたかった?
山本耕平そうなんです。
赤井孝美やっぱ山陰ってすごく芸術的な素養に優れている反面、非常に堅実な教育を受けているので、たとえば『歌の世界でやっていきたい』とか『マンガ描きたい』とか『アニメの世界でやっていきたい』っていうのは、『それは夢は夢だけどもっと現実的なセレクションを』ってのはありますよね。
山本耕平あー、それは僕も言われました、すごく。
赤井孝美僕も学生のときに、知らない人に言われました。父親の友達らしいんだけど(笑)。
山本耕平(爆笑)やかましいって感じですね(笑)。
ご家族から反対は無かったんですか?いや、もう進学してるわけですもんね?
赤井孝美うーん…。あ、一番反対されたのは、進学した後に大学辞めるときですね。大学辞めるときに母方の親戚みんな集まって抗議されまして、『お前の母ちゃんがどんな苦労して大学へやったとと思ってるんだ、そんな勝手は許さん!』みたいな。
山本耕平(笑)。
ゲイダイ
百鬼夜行みたいな大学だった【赤井】
赤井孝美さっき芸大って言葉ありましたけど、僕は大阪芸大でして、芸大は芸大でも東京と大阪ではえらい違いで…。
山本耕平そうなんですか?
赤井孝美まず大阪芸大は私立ですし、今は入るの難しくなったと思いますけど、僕らのころはそうでもなくて。でも映像学科はちょっと難しかった。当時映像の勉強ができるのが日芸(日本大学芸術学部)と大阪芸大だけで。
山本耕平日芸には映画系のコースがあるんですか?
赤井孝美そうです。映像を勉強したいエリートは日芸なんですよ。僕と同じ年代だと三谷幸喜さんなんかがそうなんです。そして大阪芸大のほうは僕らのころは…そうですね、アホみたいな奴らばっかりで(笑)。 行くと、毎日コスプレして来るような奴らとかいましたね。コスプレなんてまだ一般的じゃない頃ですよ。あと毎回アメリカ軍の恰好してて、ジープのボンネットに米軍の識別のマークつけて、本人も髭ボーボーで完全武装で来てるやつとかね。
山本耕平すごいなぁ(笑)。
赤井孝美そんな、百鬼夜行みたいな大学だったんで。ほとんどアホばっかりなんだけど、ときどきとんでもないやつが出てくる、みたいな。そういう世界でやってると、就職の募集も業界からのはほとんど無く、たとえばパン屋さんの運転手とか~いや、それも良い仕事だとは思いますけど~それが一番条件良さげに見えるけど、大阪芸大の求人に貼るものじゃないだろと(笑)。 あと、『今度すごい先輩来るぞ』っていうから『どんなすごい先輩なんですか?』って聞いたら、地元のテレビ局のテロップを作る会社に下請けで入ってるみたいな、そんなちょっとでも映像に関わってるだけで『スゲー、出世頭だー』って(笑)。
それはそれで立派な仕事ですけど、4年間高い学費払ってやる仕事じゃないだろうと。僕たち大阪芸大の出身者で有名なのは、世良公則さんとか中島らもさんとか、なかなか良い人たちが出てるんですけど、みんな中退なんですよ。
山本耕平中退した人が出世する、みたいな(笑)
赤井孝美というよりね、ここを卒業しても就職先が無いので、優秀な奴は在学中に仕事を見つける、と。4年間が就職活動期間中で、掴んだと思ったらみんな辞めちゃう、と。
山本耕平なるほど。
赤井孝美僕の同期で島本和彦くんっていうマンガ家がいるんですけど、彼も2回生のときに小学館の新人で賞獲って辞めたので、僕らは(指さして)『イチ抜けだー』って(笑)。
山本耕平なるほど(笑)。 じゃあ米子でもその風土を醸成していく会を作りましょうよ。『(ひそひそ声で)中退したほうが良いんだって』って…
赤井孝美(笑)。
いや、中退したほうが良いんじゃないんです。ちゃんと自分の道を見つけることが(大事)
山本耕平でも、それを応援する人がここにいるよってのは発信したいですね。だって本当にそのチャンスの中に飛び込んで実践的な勉強ができていってたら良いですもんね。
でも、起業ってまた別じゃないですか?無いモノを作るって…あ、でもゼロイチの学科ですもんね。
赤井孝美そうなんですね
山本耕平僕らはいわゆる再現で、ある一面の中に自分を投じていって、個性を出していくっていう感じなんですけど。
赤井孝美音楽全般そういうところあるかもしれませんけど、たとえばオペラとかクラシックってやっぱりヨーロッパが本場で、いわば外国文化を勉強し、なおかつそれを職業として入っていくっていうのは、まさに先ほど例えで出ましたけど、外国人力士みたいな感じですよね。
山本耕平ホントに…。
喜び
満足感は極めてパーソナルなもの【赤井】
赤井孝美それは、逆に僕からすると、想像の埒外というか、シンドイこととかツライこととかは想像できるんですよ、難しいことは。でも例えば、喜びとしてはどういうことがあるんでしょう?
山本耕平喜びとして…すごいですね、喜びか。 劇場の大きさとか重要性とかがあって、そういうところにオファーしてもらえたっていうステップアップとかも、もちろんあるんですけど、一番喜びがあるのは、自分が目指してる通りに歌えるかどうかだと思います。
もちろん自分の声って客観的に聴くことって不可能なので喜びってあまり主体的には測れないんですけど、でも自分が目指してる表現ができるか、覚えるかっていうのはやっぱり大きくて、それを舞台で出来ると『あー、今日は一つ何か大事なステップ踏めたな』っていうのはありますね。
赤井孝美うんうん。
山本耕平それが無いときは、準備段階でナーバスになり、本番前にナーバスになり、本番中も緊張しており、結果も良くなく、最後の酒も美味しくないみたいな、これが一番良くないんですけど、それってクリエイターでもあり得ますか?
赤井孝美やっぱり面白いなって思ったのは、表現方法も演目も基本的には伝統的なことで決まってて、何百年と受け継がれてきたものなんだけども、満足感は極めてパーソナルなものなんですね。
山本耕平そうですね。
赤井孝美自分がやりたかった形ができたとか、自分が満足してるかどうかってのが大きいってことなんですね。
山本耕平もちろん、コーチっていう良い耳を持った良い関係の相手がいるというのはすごく重要で、僕はいつも連絡をして状態を聞いてもらって、『あ、自分ではコレめちゃめちゃ良いと思ってたけど、意外と効果薄いな』とか、いわゆるホールを満たせるようなリラックスした響き声を出せるかどうかってのは意外と自分では分からなかったりとか、同じことやってるつもりでも身体のどこかがだんだんバランス変わっていっててダメだったりとか…同じことやってるつもりなのに、何故できないんだっていうスランプとかはありますね。
二人の仕事の違い
自分の魂こっちに移して、こっちに働いてもらって、動き出して【山本】
赤井孝美そうですよね、肉体から出てくるものがそのまま結果なわけですから、たとえば体調一つ取っても、人間振幅があるでしょうし。ただ、それは僕はスゴイと思うんですよ。その、自分の肉体から発するもので勝負してるというか。僕たちは何かどこかまあ自分から出て来るものではあるんですけど、結局自分を出しているわけではないので。マボロシみたいな、忍術のような…(笑)。
山本耕平自分の魂こっちに移して、こっちに働いてもらって、動き出してって感じですよね。
赤井孝美しかも、準備期間はどちらもすごいかかると思うんですけど、一発勝負感は僕らの世界ではちょっと薄いですよね。作ったものを見て、『あ、ここちょっと直して』とかできるわけですけど、やっぱステージっていうのはそれまで積み上げてきてるものの、今この瞬間に発したものそれがお客さんに届くわけですよね。それのプレッシャーっていうか緊張感っていうのは?
山本耕平でも、出したものにはもう責任は持たないんですよ(笑)。
赤井孝美(爆笑)。
山本耕平すごい言葉が出てきてしまった(笑)。 でも、たとえば『歌詞間違えた!』ってなっても、間違えたのはさっきの俺で今の俺ではないので、後悔は一瞬だけよぎるんですけど、忘れてすぐ次のフレーズに当たり前のような顔して行くんですよ。
赤井孝美あー(笑)。
山本耕平それで、本気でそれを忘れるので、終演後にお客さんに言われたりするんですよ。『さっきなんか、”神は偉大”って言わなきゃいけないところを”俺は偉大”って言いましたよね』とか(笑)。
赤井孝美(爆笑)。
山本耕平そのときは何のことって思うんですけど、後で思い出しちゃったりして。一瞬一瞬が勝負すぎて、スミに追いやるんですよね。
赤井孝美なるほど。
今はスマホで画像出してきて『これだ』って(笑)。【赤井】
山本耕平その点あれですよね、(絵描きさんは)『間違えた!』っていう線がそのまま『お前が間違えた線だよ』ってずっと在り続けるわけですよね。
赤井孝美まあ間違えた線は我々の場合は直さなきゃなりませんから(笑)。
山本耕平(笑)。でも、サインをしてあげないといけないときに間違えてしまう事とかあります?
赤井孝美あります。僕ら、サインのときに字だけってわけにいかないので絵も描くんですよ。中には下描きとかして描かれる人もいるんですけど、それは1枚描くのに何十分かかったりするんで。特に海外のイベントなんかだと外国人容赦無いんですよ、ズラーっと並んで(笑)。おれ描かないのに『エヴァンゲリオンの初号機描いてくれ』とか(笑)。
しかも昔は『それは描けない』って言えたんですけど、今はスマホで画像出してきて『これだ』って(笑)。
山本耕平(笑)。
赤井孝美しょうがないから、それを模写する、みたいな(笑)。
山本耕平すごい(笑)。 それ、サイン会で僕になんか『エヴァンゲリオンのテーマ曲歌ってくれるか』ってスマホで音源聴かせてお願いするようなもんですよね。
赤井孝美イヤホンとか差し出してね(笑)。
日本人だとあまりそういうの無いんですけど、アメリカでも自分の好きなもの描かせようとしたりとかムチャ振りしてきますね。
話題は尽きず…
山本耕平そうなんですかー。
でも、それはめちゃライブじゃないですか、回収できないもので…。
赤井孝美しかも、歌の場合は、例えばCDとか配信とか発売されれば別ですけど、その場で消えるじゃないですか、音波は。でもサインは、ずっとその人の手に残るのでツライですよね~ あまりにムチャ振りされたやつは『知らねーよ、おれのせいじゃねーよ』って感じですけど、自分が作ったキャラクターを失敗することもあるので。一度、マンガ家さんとサイン会したことあるんですけど、もう彼らはスゴイですね、絵を描くマシーンとしての安定感が違うというか。同じ絵をずーっと描いていける
山本耕平すごいですね。
赤井孝美週刊連載なんかしてる人は流石、鉄のボディって感じ(笑)。
前日に決まった対談ですが、同じ米子市出身という事もあり非常に盛り上がりました。また、オンラインサロンメンバー限定でワークショップ『赤井孝美、歌を習う』『啓成小学校漫画クラブ 部長』ワークショップ動画は、後日ご視聴いただけるようになります。
山本耕平
ヤマモト コウヘイ
東京学芸大学教育学部音楽科クラリネット専修を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科に入学。
安宅賞、同声会賞、アカンサス音楽賞、松田トシ賞を得て首席卒業後、伊ミラノ・ヴェルディ音楽院に留学。
修了後、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程オペラ専攻に復学し、大学院アカンサス賞を得て首席修了。平成27年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、また五島記念文化賞オペラ新人賞受賞により、伊マントヴァで更なる研鑽を積む。
イタリア声楽コンコルソ・ミラノ大賞部門第1位、日伊声楽コンコルソ第1位及び歌曲賞等多数受賞。
オペラはこれまでに、『イドメネオ』タイトルロール、『愛の妙薬』ネモリーノ、『椿姫』アルフレード、『こうもり』アルフレード等に出演。東京二期会では『ドン・カルロ』タイトルロール、『リゴレット』マントヴァ公爵、『後宮からの逃走』ベルモンテ、『金閣寺』柏木、『天国と地獄』オルフェ等次々と大役を演じて高評を得ている。
コンサートソリストとしても「第九」等で高い評価を得ており、「NHKニューイヤーオペラコンサート」、「ららら♪クラシック」、「東急ジルベスターコンサート」等メディアへの出演も多い。
「Mi manchi」「君なんか もう」など2枚のソロアルバムをリリース。2013年CHANEL Pygmalion Days ARTISTS。
鳥取県米子市出身。米子市首都圏観光大使。とっとりふるさと大使。二期会会員。